しあわせの隠れ場所 視聴 [映画]
たまたまTLに流れてたので、買ってみた。
900円で安いからいいかなんて思ったが、いまさら冷静に考えると
・BDじゃないと42インチでみたときに気になる
・HDじゃないのならKindleで300円でよかった
と微妙な気分に。
オアーってなんか聞いたことあるなーと思ったら全盛期レイブンズのLTだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%BC
今じゃ見る影もないが、レイブンズとスティーラーズの守備といったら当時はすごかった気がするので、その一躍を担っていた選手なんだから相当すごいんだろうと。
ひとまず見てみると、結構強烈な社会派ドキュメンタリーかと思ったが
実は結構コミカルで普通に気軽に見れるいい話として描かれていた。
で、オアーの経歴を見たところ、映画との描写の違いが気になった。
これによると、高校でNFL選手としてはすごかったが、学力が足りなかったのを白人夫婦が引き取って教育させたとある。
映画では、高校から大学に行くまでを詳しくやっていたが、
「夫婦が身寄りのない男子を見るに見かねて引き取って、クリスチャン・スクールへ入学させた後、LTとしての適性を見抜いてスターへと変貌させた」ストーリーであった。
それなら素晴らしい美談だったが、上記のようにWikipediaでは全く逆で活躍した選手を引き取って高校に入学させた。
「せっかくスターになれる可能性があるのに家庭の事情で学力がないまま進学できないのはもったいないから、サポートするだけでなく家族に迎え入れてスター選手への道筋を作った」、というだけでも十分な美談だと思うのだが、なぜこんな小細工をしたのだろうか。
フィクションだと割りきって、より美談を輝かせたかったのだろうか。
そこである疑惑が頭をよぎってしまった。
それはこの映画のキーであった役人による尋問。この話のキーとして「ミシシッピ大学を選んだのは自分の意志である」という描写が取ってつけたように描かれていた。
家庭に恵まれなかった黒人が差別意識の強い地域の白人に暖かく迎えられて大学へ進みNFLでスターになるという話だけでよいののに、そこに大学進学に待ったをかける役人?が現れる。どうもドラフトに際して周りの大人が誘導して懇意の大学へ入学させるのはルール違反らしい。
いきなり役人に尋問されているところから始まるというシーンから始まるため、この部分が核心なんだろうが、終わりの方までみていると、他の美談に比べると明らかにとってつけたような、本当はここが言いたいんだけど別の美談でごまかしましたというような感じがしてしまっていた。というか、いらんだろと。なんとか局に難癖つけられる話なんていらんだろと。蛇足、盲腸的な。
だから、この映画は好意的に解釈したとしても、現実とは違うストーリーにしたあげく、本人のスター性にケチを付けられないための余計な演出が入っている映画というのが最終的な判断となった。何も知らなければイイハナシダナーなんだろうが、Wikipediaを見てしまった以上はこのように判断せざるを得ない。
900円で安いからいいかなんて思ったが、いまさら冷静に考えると
・BDじゃないと42インチでみたときに気になる
・HDじゃないのならKindleで300円でよかった
と微妙な気分に。
オアーってなんか聞いたことあるなーと思ったら全盛期レイブンズのLTだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%BC
今じゃ見る影もないが、レイブンズとスティーラーズの守備といったら当時はすごかった気がするので、その一躍を担っていた選手なんだから相当すごいんだろうと。
ひとまず見てみると、結構強烈な社会派ドキュメンタリーかと思ったが
実は結構コミカルで普通に気軽に見れるいい話として描かれていた。
で、オアーの経歴を見たところ、映画との描写の違いが気になった。
高校1年次は公立高校に通ったが、高校2年次にブライアクレスト・クリスチャンスクールへの入学が認められた。彼は高校のアメリカンフットボールチームで頭角を現し2003年にはディビジョン2Aの最優秀ラインマンに選ばれると共にテネシー州のオールファーストチームに選ばれた[2]。2004年、リー・アン・テューイ、ショーン・テューイ夫妻の家に引き取られ、暖かな家庭を得ると共に1週間に20時間、家庭教師に学ぶ努力の結果、GPAは0.6から2.52に劇的に上昇させてNCAA1部校に入学できるレベルとなった
これによると、高校でNFL選手としてはすごかったが、学力が足りなかったのを白人夫婦が引き取って教育させたとある。
映画では、高校から大学に行くまでを詳しくやっていたが、
「夫婦が身寄りのない男子を見るに見かねて引き取って、クリスチャン・スクールへ入学させた後、LTとしての適性を見抜いてスターへと変貌させた」ストーリーであった。
それなら素晴らしい美談だったが、上記のようにWikipediaでは全く逆で活躍した選手を引き取って高校に入学させた。
「せっかくスターになれる可能性があるのに家庭の事情で学力がないまま進学できないのはもったいないから、サポートするだけでなく家族に迎え入れてスター選手への道筋を作った」、というだけでも十分な美談だと思うのだが、なぜこんな小細工をしたのだろうか。
フィクションだと割りきって、より美談を輝かせたかったのだろうか。
そこである疑惑が頭をよぎってしまった。
それはこの映画のキーであった役人による尋問。この話のキーとして「ミシシッピ大学を選んだのは自分の意志である」という描写が取ってつけたように描かれていた。
家庭に恵まれなかった黒人が差別意識の強い地域の白人に暖かく迎えられて大学へ進みNFLでスターになるという話だけでよいののに、そこに大学進学に待ったをかける役人?が現れる。どうもドラフトに際して周りの大人が誘導して懇意の大学へ入学させるのはルール違反らしい。
いきなり役人に尋問されているところから始まるというシーンから始まるため、この部分が核心なんだろうが、終わりの方までみていると、他の美談に比べると明らかにとってつけたような、本当はここが言いたいんだけど別の美談でごまかしましたというような感じがしてしまっていた。というか、いらんだろと。なんとか局に難癖つけられる話なんていらんだろと。蛇足、盲腸的な。
だから、この映画は好意的に解釈したとしても、現実とは違うストーリーにしたあげく、本人のスター性にケチを付けられないための余計な演出が入っている映画というのが最終的な判断となった。何も知らなければイイハナシダナーなんだろうが、Wikipediaを見てしまった以上はこのように判断せざるを得ない。
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